siztsbの日記

インプット・アウトプットのサイクルを回すために書いています。

読書『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』

ハンナ・アーレントに最初に出会ったのは、修士1年生の時で、ちょうど紀伊國屋書店札幌本店の2階の思想書売り場の斜め向かい(ぼくがいつも立ち読みしていた場所!)で、たまたまナチス・ドイツに関する書籍のフェアをやっていて、そこでちらっと見た時だったと思う。その時は『全体主義の起原』とか『イェルサレムアイヒマン』は高いし読むのが大変かなと思い『ホロコースト全証言』とか『戦争は女の顔をしていない』を買って読んだことを覚えている。つくづく、乱読しているなと思う。

 悪による政治と全体主義はいまになってはほとんど重なって見られるものであると思うのだけど、実は悪というのは陳腐なんですよ、とハンナ・アーレントは指摘した。その事と全体主義の誕生、流布の歴史の解釈についての解説を加えるような内容だった。いわゆる悪が法制度としてあって、それが正しいとされている世界において、制度に従わず自分の良心に常に従うことができるか、ということを強烈に問いかけられる。すなわち、自身が1930年代のドイツにいて、自分の道徳に従えたかということであると解釈できると思う。みんながやっているから自分もやってもいい、とか、政府がそうしているから仕方ない、とか、あれこれ理由をつけて悪事を冷徹に行ってしまう自分がそこにあるように思えてとても背筋が冷えた(僕はゲルマン人ではないが!)。加えて、何が正しくて何が間違っているか、ということは当事者にはいまいちピンとこないというところではあるのだと思う。第三者のまなざしを以てしても、難しいかもしれない。結局は解釈する人の価値観が効いてくることだから。多数派の言っていることが実は間違えていたと気づいたときにどう考えるか。いちいち自分に問いかけなければ、いつでも自分も悪に手を染める事態になるかもしれない。

読書『戦争における「人殺し」の心理学』

 

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

 

 読んだ。示唆に富む書籍だ。人を殺すために戦争に行っておいて、人は人を殺せないらしい。人を殺す訓練をして、人を殺しに行って、挙句殺せずに精神病になってしまうおちという身も蓋もない話だった。性と暴力を同じような見方で見ているところも面白い。抑圧されてきた事柄には得てして興味深い内容が含まれているということか。

読書『しあわせ仮説』

最近はあまり読書をできていないが、『しあわせ仮説』を再読したり(3回目)していた。これまではかなり音楽をできていた気がしていたが、ここにきて音楽をするモチベーションが一気に下がってしまいなかなかしんどいところではある。一方で、映画を見たりアニメを見たりといった違うことに興味が向いてきたことがあり、それはそれで良いのかなと思ってきているところではある。
全然関係ないが、最近ボーイスカウト活動や指導者活動に復帰するにつけ、子供の様子を見ているとただそれだけでなかなか学ぶことが多いなと思う次第で、当たり前だが色んな子供がいて、色んな事を考えているのが面白い。中学生くらいの子供の考えること、全然わからないがそれがまた面白いというか、理詰めでは解決できないことが世の中にあることを知ることができたという点で、この時期にこの活動に携われてよかったと思う。なかなかこういったボランティア活動じみたことは、社会生活を普通に営む中で突然始めるということは難しく、機会に恵まれたということは幸運であったと言えると思う。
僕が携わるからには、スカウトには誠実であってほしい。誠実さは上辺をなぞるだけでは絶対に得られないことであるし、誠実であるためには今までの自分をある意味捨てる必要があることもあると思う。しかし自分自身の心に誠実であること、躊躇なく他者と議論を戦わせることができることこそが、自分が乗り越えることのできない他者性や、それに向き合った時の自分の正しい身の置き方といった、真に大切なことを学ぶ機会となると思うし、そうやって育った子供は強く生きられると思う。『しあわせ仮説』では、他者との関連性(あいだ)が大切だと言っているが、「あいだ」をうまく承認し、幸せの好循環をまわしていくためには、あいだがどのようにできているかをしっかり理解することが不可欠であると思う。その間には自分と相いれない思想や利益の相反が当然のようにあるが、それらがあるということそのものを知るということは、実は現代には難しいのかもしれない。そういったことが、僕がやっている活動の中で少しならず僕から伝えられれば、望外であると思う。

読書『文明が衰亡するとき』

乱読癖で、10冊以上を同時に読んでいるせいで読書に時間がかかってしまったけども、新潮選書『文明が衰亡するとき』を読み終えた。

文明が衰亡するとき (新潮選書)

文明が衰亡するとき (新潮選書)

著者が歴史散歩であると行っている通り、過去の文明の滅亡から今の世界の国家の滅亡論を唱えるものではないし、この本自体も1981年に書かれたものであるので、現在とは事情がかなりことなっている。しかしながら、より、「つながる」ようになった現代において、繋がることは利益を生むがその反動として保護主義を生むという指摘は現代の世相をまさに言い当てているものだなと非常に感動した。

敵は無限に生まれる、そんな中で結局役に立つのは国の資源とか、軍事力といったものになってしまうというのはある意味で事実であり、暗澹たる気持ちを思い起こさせるものである。

福祉国家の矛盾という指摘も興味深い。国民のために福祉国家をうちたててもとうの国民からは嫌われてしまえば、意味がないと言ってもいいと思う。今後、社会保障費が増大する中で、国内に病人があふれるようになったときに、犠牲者となるのは国か、医療者か、はたまたその両方か。今までの世界で行われて来た福祉が持続可能でないから撤退しようと提案したところで、その言説に易々と市民が肯くとは思えない。身体の健康というものは個人的なものであると同時に社会的なものとなっている。何年もの後に、より不便な世界が待っていることを、全人が認識して、躊躇なく大胆な政策を推し進めるべきではないか。特に、分散して人が居住している状況は無駄が多いので、集約して行く方向に舵を切るべきではないか。

翻り、今田舎で多く喧伝されている移住者募集についても、結局は国内でパイの奪い合いをすることになり無意味だし、部外者の侵入を快く思わない地方民にとっては災害のようなものとも捉えられる。いま、限りある人的資源、社会的資源をもってして、どのようなことができるかを、すべての選択肢を考慮に入れ、真剣に考えることが未来につながる。なかなか、示唆に富むものであった。

愛による抵抗『BPM』

映画BPM(ビート・パー・ミニット)を観た。

 

札幌市のシアターキノという劇場で観たのだけど、札幌の狸小路商店街や大通周辺は、土曜日というのにすっからかんで、往年は溢れていた中国人すら居ないという何とも寂しい有様だった。繁華街が衰退していっているのは、街の衰退を目の当たりにしているようで、少し悲しいなと思った。

 

感想をここで書こうとしばらく温めていたのだけれど、可寝たさんが僕が抱いた仄かな違和感というか、集団の闘争の中に身を沈める個人のあり方について持った感想について的確に言い当てた記事を書いてくださったので、僕は何も言うことがなくなってしまった。

tomoyukix.hateblo.jp

僕自身はLGBTとしては何も活動していないし表立ってやる気もあまりないけども(Bです)、10代、20代にして目前に約束されたような死が迫ってきた時、僕は何を出来る(もしくは、出来た)だろうか。

 

異性、同性という枠組みを超えた、普遍的かつ個人的な愛こそが、最終的に人のこころをうつものとなる。

月日はいつのまにか経っていて

昨日、2018年3月30日をもって、今の会社に勤めて1年が経ったことになった。就活から振り返ると、根拠のない自信に満ちあふれたまま何も支障なく就職が決まり、学振も通り、挙げ句いい職場に恵まれたと思っている。大学院生時代に死ぬほど頑張ったことが、すこし使えるというところも良い。時代は大きく揺れ動き、今の状況でやっていけるかどうか甚だ疑問ではあるけど、しばらくは現状を維持することができるのではないかなと思っている。

薬物乱用と適正使用のあいだ『Take Your Pills』

ネットフリックスで配信されている、『Take Your Pills』を見た。興奮剤(覚せい剤)のアンフェタミンメタンフェタミンヒロポン)、メチルフェニデートをめぐるお話。

 

アメリカでは日本と違って覚せい剤アンフェタミンADHD注意欠陥多動性障害)の治療薬として処方されていて、大々的に広告まで打たれている。また、日本でも認可されているメチルフェニデートリタリンコンサータ)と合わせると、市場規模は1兆円を大きく上回るとのことで、製薬会社にとっては大変に大きな市場となっている。

 

ADHDの治療にのみ使われればよいが、学校での成績を上げるためにこれらの薬を乱用(Abuse)する流れがあり、それは依存症を生みだすとともに、多くの成功者を生む。一見矛盾する帰結が面白い。IT企業に勤める男は薬のおかげでいい仕事を得る。使った学生は成績が上がる。一方で、依存症となり薬なしでは動けなくなってしまう者、大量に摂取しなければ生活を維持できない者が映し出されており、薬の威力を思い知らされる。

 

が、同時にこれら興奮剤を摂取したところで実際に能力が向上するわけではなく、「能力が向上した気になる」だけということが重要であると語られる。プラセボ群と実薬群の間に実際に能力の向上に関する有意差は見いだせなかったが、実薬を摂取した群では「より自分はできるんだ」という気持ちになったとのことで、非常に興味深い。

 

根拠の無い自信は人をとても成長させる場合がある。ここぞという場面において自信のあるなしが大きく結果を左右する。発表の場、討論の場、面接の場。色々な場面において、僕たちは自信を必要とする。そんなときに、自分の実力を水増しで評価できるようになる薬があれば、それはそれは幸せなことかもしれない。

 

アメリカでは同時に、オピオイド系鎮痛剤の依存症も大きな社会問題となっており、米国の医療系ニュースや大衆紙では連日この話題ばかりになっている。トランプ氏が言及したことも記憶に新しい。処方鎮痛薬であるオピオイドに依存して壊れていく患者、死亡する患者。1年で3万人以上がオピオイドの過量投与で亡くなっているというから驚くべきことだと思う。分母が違うが、日本人の自殺者数が年間2万人ちょっとなので、それを大きく上回る人がオピオイドで死んでいる。しかも、入り口は処方薬というから、誰も浮かばれない。製薬会社だけが儲かっている構図が、容易に描かれると思う。

 

とんでもない病や癌などの病の帝王みたいなものでなければ、薬である程度は病気をコントロールできる世界に僕たちは行きている。癌すらも慢性疾患になると言われている。すなわち喘息のようにコントロールしながら一生付き合える病気になるということと解釈出来る。

 

薬によって多くの命が救われ、それにより多くの社会的・経済的価値が生み出されていることは重要であるが、同時に薬の重大な副作用により苦しむ人がいる。そのバランスは如何にとるかという議論になる。確率の問題だ。3%の確率で副作用が起こる薬と30%の確率で副作用が起きる薬、どちらを飲むか?という問題になる。

 

数字に落とし込まれて、自分にまさか副作用が起こるはずがない、とか自分は特異体質じゃないから大丈夫。と「根拠の無い自信」を持つ。しかし、起こる人には副作用は起こる。起こってしまったらその人にとっては100%の副作用になってしまう。被害に遭って初めて自分の過信を知る。なんだってそうだ。

 

日本は世界有数の、医薬品審査期間が短い国へと変貌を遂げた。そんな時代にあって、新薬の安全性はより厳重に担保されなくてはならない。社会防衛、社会犠牲のために失われる命は、現代においてあってはならない。僕らはもっと賢い時代に生きていていいはずだ。

 

知っておきたい薬害の教訓―再発防止を願う被害者からの声

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