siztsbの日記

考えていても言葉にできないことを文章にして残しておくことでいつでも読み返せるようにしています。

安楽死が許容される状況とは

JAMA Intern Med.に非常に興味深い記事が掲載された。

「Medical Assistance in Dying」

jamanetwork.com

 

この記事は、カナダでの筆者自身の患者に対する安楽死経験を述べたもので、胃癌治療のための化学療法を停止するかどうか、という決断を患者自身が行い、結果的にそれが良い行いだったとするものだ。

 

We learned the following lesson from this experience. When many of our other patients died, the hardest part for the family was dealing with the uncertainties; when will they die, how would they die, what will it look like, is he or she in pain? And they have to make serial decisions; when to stop blood work, intravenous hydration, vital signs, and remove tubes? All of these uncertainties and decisions induce enormous distress. With MAID, all of that uncertainty and agonized decision making is removed. As a result, the family and the patient undergo much less stress.

 

とあるように、不確かさ(不確実性)に対して対処することが家族にとって大変つらいことであり、それに伴う意思決定が家族に任されることが重圧となるという言は、医師として臨床にいる人が感じている声であり、たしかにそうなのだと思う。 がん患者自身が自分の安楽死を望むことは、これらの事から家族を解放するための有力な手段だ。ただ、彼らが結びで述べているように、

 

“Today we did a good thing,” one of us remarked to the other during a mentoring moment when leaving the hospital that evening. We’re not sure if we’ll ever do this again, but we believe that in this circumstance it was the right care, for the right patient, at the right time.

 

適切な介入、患者、時が重要なのであって、それが問題となるような状況下では行われてはいけないことは当たり前だが重要なのだろう。人生は本人だけで回っていることは少なく、色々な人との関係性で築かれているので、本人のDecisionが回り回って色々な問題を引き起こすということはままある話なのかもしれない。まあ、そんな事が起こるのは本人が亡くなった後なので、なんの関係もない話かもしれないが。

 

生死に直接関係する事は、透明性と同意に基づく執行でなければならないが、そのための制度づくりは道半ばだ。

medicalnote.jp

 勿論、今回の記事で触れられているような方法は倫理的、法律的な問題が日本においてはつきまとう。事例が出て来れば間違いなく社会問題化するのだと思う。なかなか藪の蛇はつつけない。