siztsbの日記

インプット・アウトプットのサイクルを回すために書いています。

北陸に戻って1年

何と、北陸に戻ってきて丁度1年となった。学術振興会特別研究員+科研費によるある意味安定した博士課程学生となる道をあきらめて、社会人生活をすることにしたわけで、それが現実のものとなってまる1年経ったということだ。なんというか、自分の研究はかなり楽しかったし、良い雑誌にも掲載できる内容だったと思うものでもあったけれども、現状国立大学に漂う閉塞感と教員の間にも蔓延する慢性的な研究費不足、ポスト不足、若手の雇用の問題が自分に降り掛かって、それに対抗できるほどの力は僕には無いかな、というある意味逃げを打ってしまった形だった。結果的に現在はそれなりに楽しく仕事をできている。去った研究室は予想通り人員の流出と研究費の削減のあおりを受けていて、保ってあと3年だろうと思う。儚いものだと思うけれども、仕方がない。現実、これから20代後半を生きるにあたって、これからの日本でどうやって生きていくかをしっかり考えることが重要なのではないかと思う。僕は地方に住んでいるけれども、地方の衰退は著しく、商店は軒並みシャッターが閉じていて歩いている人はほとんどいない。公共施設を全数維持するのも難しいという現状で、これが向こう10,20年先にはどうなっているんだろうかという不安を抱かざるを得ないところで、講談社現代新書『縮小ニッポンの衝撃』を読んだ。

 

縮小ニッポンの衝撃 (講談社現代新書)

縮小ニッポンの衝撃 (講談社現代新書)

 

 この本は、これから人口がぐんぐん減っていく日本にあって、実際に破綻してしまったまち、夕張やこれから破綻するのではないかと目される街。それらに関して、現状と未来、そしてこれらの人口減少とは無縁と考えられていた場所さえもリアルとしてそれがやってくる可能性について述べている。夕張では、生活インフラさえも満足に維持できないために、住民にある種立ち退きを要求したり、わざと住みにくい街を演出したりして「追い出し」にかかっている生々しい現実がある。この現象は、住民の生産性が住民にかかるコストに釣り合いが取れなくなった場合に発生する可能性があると思われるが、筆者はあらゆる場所に同様の事が生じるかもしれない、ということを突きつける。人口減少は現実だ。また、僕がこの先もこの国に生き続けるのも現実だ。リアルが厳しく、僕たちに問いかける。未曾有の人口減少を、どう乗り切るか(あるいは、乗り切らずに衰退を認めるか)。やはり、読書や観劇、旅行等、外界と接する機会を多く作って、さまざまな状況に柔軟に対応できるのが良いのだろうか。今のスピード感のあるコンテンツ消費に乗って、刹那的に生きるのが結果的には良いのだろうか。先を見通せない世界において、一応の若手として、選ぶ権利は自分自身が持っている。否、選んで、責任もって振り切る義務がある。平田オリザ氏は「人生棒に振るなら綺麗に振れ」のようなことを言っていたが、多様な生き方が認められつつある今、「綺麗に振る」こともそれなりに悪くない選択なのかもしれない。それを、大学院生時代に選べなかったことは、ある意味自分自身がつまんなかった。今、それができるかと問われると、微妙だと思う。結局は凡人として生きる道を選んでしまいそうな、そんな事を夜中に考えていた。